yamanakashido’s blog

好きなもの 好きなこと 大切なもの

書道教室の思い出

少し田舎の話が続きます。

塾はありませんでした。若者は皆、県外へ出て行きます。よって家庭教師も居ません。その割には周りの友達には勉強が出来る人が多かった気がします。出来る人というより勉強したんでしょうね。

過疎が進む中、昔風に言うなら一旗あげるためには、勉強して県外へ出るという一択。選択肢はありませんでした。

そんな田舎の小学生、僕はもちろん塾など行きません…行けません、ありません。習い事…ありません。学校で勉強し、鉄棒に苦戦し、野球の真似事に興じます。家庭では総祖父母、祖父母、父母に囲まれて妹とともに沢山の愛情に恵まれて生活しました。

ある日、母がこんな話を持って来ました。永らく郵便配達をされていた方が退職されて地元で書道教室を開催している。その方が我が町でも書道教室を開催してくれるかもしれない。人数が集まれば可能なようだ。興味はあるか。

バットや鍬は持ちますが、筆なんて一年に一度、忘れた頃に書き初めをするくらいです。土で汚れるのはウェルカムですが、墨で汚れるのはあまり良い思い出がありません。

しかしそこは当時の田舎暮らし、スマホもなければTVも野球とドリフくらいしか楽しみはありません。あるのは有り余った時間。飛びつきました。

今思えば、この選択は僕の人生において非常に価値のある選択でした。生来運が悪く二択で気合いを入れて引けば必ずハズレ。深読みして逆張りしてハズレ。ミドルネームをハズレにしようかと思ったくらいです。そんな僕が良かったなぁと思える選択でした。

先生は初老のイケメン。書道というより油絵でも描きそうな方です。真っ赤なカブに乗っていたとは想像も出来ません。(誤解の無いように…僕はカブ大好きです。後々この小学生は大学で二輪サークルに入り活躍?します。日常的に二輪に乗れる仕事として郵便配達員に憧れたこともあります。)

公民館にゴザを敷き、テーブルを並べます。七夕サイクルで使う書道セットを開くと、いつついた汚れかも不明な硯とキャップが膠着した墨汁。早くも心は折れそうです。

しかしそこは書道教室。事前に注文していた墨を使います。墨汁くんの出番はありませんでした。独特の匂いが広がります。墨汁くんの濃厚な匂いとは違う、普段の農耕の匂いとも明らかに違う匂いが広がります。これが書道かぁ…。数年後には丸刈りになることも知らない小学生の第一印象でした。

毎週1回、4年間くらい続けました。そう、中学生になっていましたから丸刈り、画的には様になります。全国規模の会でしたから、作品を先生が持ち帰って送付するシステムで、たしか八級から始まったはずです。朱色の墨での添削もだんだんと少なくなり、いつの間にか段位を貰い、最上位の五段になりました。下級生の面倒もみながら、教室の終わりに外の手洗場で硯や筆を洗ったのも楽しかった思い出です。冬は泣きそうでしたが。

最終的に、特待生といういつまで待てば良いのか理解に苦しむ称号を貰い一区切り。高校進学を控えて丸刈りともオサラバ。画的にそぐわないからでもありませんが退会しました。今でも特待生とはいつまで待てば良いのかは不明です。

月謝は900円。毎回900円ではありません、月謝です。

冠婚葬祭のときも重宝していますし、手紙やちょっとした手書きコメントも苦になりません。パソコンでの書類作成が当たり前となった現代でも、手書きの楽しさが理解出来ていることはありがたいと思います。字が綺麗?になったのはもちろんですが、先生の人柄に触れたり皆とワイワイしたりと、貴重な時間だったと思います。

毎回、教室終了後は先生を見送りました。イケメン先生は遠路帰って行きます。緑色のカブで…。

カブかよ〜。